小5から高3までサッカー、2浪の末に入った近畿大学でアメリカンフットボールを始める。卒業後は吉本興業に勤務し、オール阪神・巨人師匠のマネージャーなどを務める一方、アメフトの社会人Xリーグでも2チームでプレー。40歳で吉本をやめ、サッカー関連のビジネス立ち上げを目指してドイツへ。日本食レストランの経営などを経て、現職にたどり着いた。